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映画2010

スクリーン2010※27

よくできたアニメだよな

  JRタワーのシネマ・フロンティアにて「シュレック フォーエバー」を観る。思えばこのシリーズ、「2」を観て感激。さかのぼって「1」をDVD、「3」を劇場で鑑賞。これでシリーズ完結ということになるのだが、なんだか、感無量だな。      

 <あらすじ=goo映画より>むかしむかし、シュレックという怪物がいました。シュレックは、ドラゴンによって塔に閉じ込められていたフィオナ姫を救い出し、彼女と愛し合うようになり、三人の可愛い子どもたちと、幸せに暮らしていました。毎日毎日の平穏な暮らしに飽き飽きした彼は、悪賢いランプルスティルスキンと、「1日だけ元の怪物に戻れる」という契約を交わしてしまいます。しかし、その事がきっかけで、おとぎの国の歴史が大きく変わってしまい…。

ドリームワークスの大ヒットシリーズ「シュレック」の完結編。シュレックは毎日の平穏な暮らしの中にある幸せに気付かず「1日だけ怪物に戻りたい」と思い、魔法使いのランプルスティルスキンに騙されて、パラレル・ワールドに飛ばされてしまう。そこにもフィオナやドンキーたちがいるものの、シュレックの存在を覚えておらず、思想や体型まで変わっている…。おなじみのキャラクターが総登場する完結編である本作、人気シリーズだけあって、パラレル・ワールドという設定を活かした小ネタの数々も効いている。レギュラー声優陣が楽しみながら演じているのも伝わってくるような、笑って泣けて楽しめる、安心感のある一作だ。

<能書き=文責・双子山>難しいことは考えずに、その世界観にひたり、CGアニメ技術の凄さに目を見張ればよいと思う。シュレックワールドのオールキャストが出ているので、シリーズに馴染んでいる人にとっては本当に楽しく見ることができる映画だよ。80点!!

 この映画で2010年の映画館での鑑賞は終了する。27本しか観ることができなかった1年だった。仕事のせいにはできない。トーカー、ジンガーくんなんかは300本近く観ているのだからなあ。自己投資を怠っていると非難されても仕方ない。来年は、50本は行きたいところだなあ。


                                                                                             

スクリーン2010※26

人間存在の哀しみに迫る

 ユナイテッドシネマにて「悪人」を見る。吉田修一の原作は非常に面白く読んだ。どのように映像化されるのか、関心もあったのだ。

悪人

 非常にまじめな、ていねいな作品というのが第一印象。こういう、ひたむきさこそが、今の日本映画に必要なものではないかと、漠然と思ったりする。

 それにしても、職場が代わって、映画をスクリーンで見るのは久しぶりになってしまった。ジンガーくん、トーカーくんの熱心さを学ばなければならない。出勤前に映画を見てくるほどの熱意を。

読む快楽2010※67

ダメではないかな。何が訴えたいんだ?

 島田雅彦の最新作「悪貨」を読了。正味な話、ダメな小説だと思う。島田雅彦、何のためにこの小説を書こうと思ったのだろう?

悪貨 (100周年書き下ろし) Book 悪貨 (100周年書き下ろし)

著者:島田 雅彦
販売元:講談社
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 ホームレスが偽札の1,000,000円を手にする。これがことの発端。この偽札の陰には、世界の資本主義体制を破壊する邪悪な意志があった。さらには、共同体コミューンが絡み、日本対中国の暗闘が繰り広げられるのだが。

 始まりは読ませるのだが、途中から筋が破たんしていく。登場人物も類型的だし、仕掛けも、物語そのものもデジャ・ヴ感あり。要するに、たいした小説ではない。講談社の創立100周年書き下ろしはレベルの差が激しすぎる。

スクリーン2010※25

バカらしくておもしろい

 「シネマの風景フェスティバル」の流れで狸小路5丁目の札幌東宝プラザにて、マイトガイ・小林旭主演の「ギターを持った渡り鳥」を観る。舞台は函館。いやはや、ノーテンキな世界が展開されていておもしろい。

ギターを持った渡り鳥

<あらすじ・解説=goo映画などより>「0番街の狼」の山崎巌と原健三郎(故人・元衆議院議長)の脚本を、「人形の歌」の斎藤武市が監督した1959年作品。小林旭主演のアクション・ドラマ。

 神戸に近いある港町にギター背中に流れて来た伸次は、喧嘩で危い流しのサブを救ったことから親分の秋津にひきあわされた。秋津は自分の娯楽センター拡張のため、親切ごかしに金を貸し利子の期限切れを種に暴力的に土地を立退かせていた。伸次の腕力と嚇しはマーケットの住民をふるえあがらせた。秋津は沖合にある小島にもセンターを作る関係上丸庄漁業に伸次を使にたてた。しかし丸庄の女房澄子が秋津の実妹と知るとこの仕事を断った。会った時から伸次に惹かれていた秋津の娘由紀は叔母のために手を引いた彼に一層の好意を寄せた。ある日神戸の田口組のジョージがヤクの密輸を沖合で取引きするので舟をかりに来た。秋津の用心棒馬場は丸庄のあかつき丸を担保にとりあげた。秋津組とジョージは取引きのため沖合に出た。挨拶がわりのダイス遊びで見せた伸次の手さばきに、ジョージは彼とどこかで会ったような感じを持った。そこで厭がる伸次にむりやり拳銃を弾たせた。“判ったお前は神戸市警のデカだ。昔俺の舎弟を殺してサツを首になった奴だ"二人が拳銃を構えた時巡視艇が廻って来た。決闘は明晩までのばされることになった。その夜丸庄が溺死体となって発見された。サブの口から秋津の仕業と知った伸次は秋津と手を切る決心をした。翌晩再び海に出た。密輸取引きが終り二つの影が向い合った。その瞬間を狙って馬場の拳銃が二人に向って火を吐いた。伸次は海に消えた。ジョージは傷つきながら馬場を倒した。組のことを知り過ぎた伸次を消し密輸を一人占めしようとする秋津のたくらみであった。秋津の事務所へ伸次は飛び込んでいった。が秋津は拳銃を構えて待っていた。しかし何時の間にか裏口よりやってきたジョージに倒された。深夜の岸壁に対峙した二つのシルエット、同時に二つの影が光った。バシッとジョージの拳銃がフッ飛んだ。パトカーのサイレンが近づいた。沼田刑事と流しのサブ実は大沼刑事である。もう一度デカになれよ、沼田の言葉も聞えぬよう夜霧の中へ伸次は消えていった。ギターのむせび泣きと由紀の涙を残して--。

 <能書き=文責・双子山>goo映画の解説、思い切りでたらめだぞ。神戸に近いある港町って函館だぜ。どこが神戸に近いんだよ! ラストも全然、違うぞ。青函連絡船で去るんだよ!何が夜霧に消える、だ。何かがごちゃごちゃになっているのではないか。流し読みでもわかるほど、文章もひどいしな。手を抜くな、goo映画!

 映画はおもしろいぞ。格闘シーンが思い切り安いけど。当時の函館の様子が出ているのだろうか、猥雑な感じがよい。金子信夫が「仁義なき戦い」の山守の役を、すでに10年前に演じているのを知って驚いたぜ。

 アキラにはオーラがある。スターオーラである。輝いている。もっと、評価されてもいい俳優だと思うのだがなあ。

→☆☆☆。キッチュな一作。現代ではとても、作れません。

スクリーン2010※24

そこはかとなくおもしろい

 狸小路5丁目の老舗映画館「札幌東宝プラザ」で26日から7月2日まで、「シネマの風景フェスティバル」というのをやってます。これまでに、北海道で撮影された映画を上映する試み。エコノミストで映画評論家のトーカーくんなんかも絡んでいるので、私も前売り券を購入しました。1枚500円ですから、安いモンです。

 そこできょうは、「南極料理人」を観にいったのです。

<あらすじ・解説=goo映画などより>海上保安庁の料理担当・西村は、南極ドームふじ基地に派遣される。ペンギンやアザラシはおろか、ウィルスさえ生存できない極寒の地だ。楽しみと言えば食べることだけ。西村は、時に贅沢な食材を使い、娯楽の少ない彼らをもてなしていた。日本から遠く離れた西村の心の支えは家族なのだが・・・・。

 実際に南極で料理担当であった西村淳のエッセイ「面白南極料理人」を映画化。平均気温マイナス54度の土地で働く観測隊員の生活をユーモアたっぷりに描く。自分の意志に反して南極に単身赴任になった料理長・西村。しかし、テレビも外食もコンビニもない南極で、朝昼晩3食を作る西村は、いつしか隊員たちと家族のような心の繋がりを感じるようになっていく。ロケは網走市内で行われ、セットで作られたドームふじ基地は、実際の設計者である北見工業大の教授に「そっくり」とお墨付きをもらったという。出演は、堺雅人、生瀬勝久、きたろう、豊原功補ほか。監督は本作が商業長編作品デビューとなる沖田修一。

<能書き=文責・双子山>まあ、ストーリーらしいストーリーのない、エピソードを積み上げていく映画ですから、素直に楽しむしかないのでしょう。くせ者ぞろいの研究者とそれをいなす料理人。なかなかです。

 でも、「厳寒」の様子があまり伝わってこなかったような気も。北海道と南極では、やはり寒さのスケールが違うのでしょうか?

→☆☆☆。まあ、こんなものでしょう。

スクリーン2010※23

トビーの目が行ってます

 スガイ・シネプレックスにて、「マイ・ブラザー」を観る。非常にストレートな、わかりやすい映画です。兄貴役のトビー・マクガイアの狂気の演技がみものです。

 <あらすじ・解説=goo映画などより>海兵隊員のサムは、よき夫でよき父。弟トミーが刑務所から出所するのと入れ替わりに、妻のグレースと2人の娘を残し、アフガニスタンに出征する。しばらくしてグレースのもとにサムの訃報が届く。悲しみに沈むグレースたちを慰めたのはトミーだった。彼は兄嫁や姪たちを支える中で次第に更生していくが、ある日、死んだはずのサムが生還する。

 デンマーク映画「ある愛の風景」を、トビー・マグワイア、ジェイク・ギレンホール、ナタリー・ポートマンらでリメイク。戦場での秘密を抱えた帰還兵士とその妻、そして鼻つまみ者の弟を中心に、家族の崩壊と再生を描く。過酷な捕虜体験のために心が壊れた兄・サムを、トビー・マグワイアが鬼気迫る表情で熱演。妻の不貞をしつこく疑い、しまいには拳銃を取り出してしまうキレぶりが圧巻だ。監督はジム・シェリダン。戦争がもたらす心の傷と、それを家族の絆が癒すことが出来るのかを問う。

 <能書き=文責・双子山>確かに、「戦場での秘密」がひとつのヤマになってます。それは究極の選択肢でもあり、アメリカの兵士たちは今もアフガンやイラクで、このような選択に迫られているのかもしれない。そう考えると、強烈な反戦メッセージをぶつけてくる映画でもある。

 マグワイアの目が完全にあっち側に行っていて、さすが役者だと思わせる。「スパイダーマン」もやるもんだ。演技派じゃん。

 ナタリー・ポートマン、「レオン」のころはかわいらしかったのになあ~。今では2人の娘の母親かよ。時の流れは残酷だ。

 しかし、病んだ心を回復することができるのは誰なんだ? アメリカという国はアフター・ベトナムでもサムのような兵士を数多く生み出し、社会不安を生んだ。「世界の警察」たるアメリカは、一人ひとりの兵士、その兵士たちの家族の犠牲の上に成り立っている。このことは間違いない。そこに便乗する日本という構図まで読みこむのは過剰かもしれないが、この映画には、兵士と家族の哀しみが充満している。

⇒☆☆☆★。「平和、平和」。叫んでいればいいわけではないが。

スクリーン2010※22

意外と凄い映画なのかもしれない

 札幌ファクトリーのユナイテッドシネマにて、「ザ・ウォーカー」を観る。デンゼル・ワシントン主演。かったるい部分もあるのだが、ふ~む、なかなかではないか? というか、言葉の持つ力を鼓舞してくれるというか・・・。

 <あらすじ・解説=goo映画などより>核戦争で文明が崩壊した近未来。世界でひとつだけ残る本を運び、30年間旅をしている男がイーライだ。しかし、彼はその目的地を知らない。本に触れる者をためらわずに誰でも殺すイーライだが、彼は旅の目的地を知らない。ひたすら西へ向かう。ある日、とある小さな町に立ち寄ったイーライ。そこは、本を探し続ける独裁者カーネギーという男が独裁者として君臨する町だった……。

 ヒューズ兄弟が、デンゼル・ワシントンを主演に迎えたSFサスペンス・アクション。世界が崩壊した近未来のアメリカを舞台に、この世に一冊だけ残った本を守りながら、西へと向かい孤独な旅を続ける男の姿をスタイリッシュな映像で描いている。ヒューズ兄弟のシャープな演出が光る。『マッドマックス』を想起させる世界観のもと、西部劇や時代劇のスタイルを取り入れたアクションが見どころ。また、本を探すもう一人の男を演じるゲイリー・オールドマンの強烈な個性も秀逸。しかし、何よりも主人公イーライを演じるデンゼルが発揮する孤高のカリスマ性、かっこいい救世主ぶりに心酔したい。

 <能書き=文責・双子山>文明崩壊後に放浪する男。北斗の拳かよ、ってもんだけど、究極的にはなかなか、すごいものを描いていると思いました。ラストは、びっくりです、正直なところ。

 デンゼル・ワシントン、かなり体重を絞ってますね。身体の切れも素晴らしい。ゲイリー・オールドマンも不気味なボスを楽しんで演じている。

 最初はありきたりの文明崩壊ものだと思ったのです。途中までの進展もその通りだし。でも後半になってがらん、と変わる。言葉とは何か、伝えることとは何かという、重いテーマが付加され来るんだよ。面白いね。

⇒☆☆☆★。不思議な印象を残しました。これぞエヴァンゲラゼイション。福音伝道派ではないのか?

スクリーン2010※21

だからヤクザごっこだっちゅうの

 札幌ファクトリーのユナイテッドシネマでビートたけし監督・主演の「アウトレイジ」を観る。要するに新旧俳優陣によるヤクザごっこ。新味はないけど、面白いことは面白いよ。そこが評価に困るけどさ。

 <あらすじ・解説=goo映画などより>関東一円に勢力を張る巨大暴力団組織・山王会組長の関内のもとに、一門の幹部が集結していた。席上、関内は若頭の加藤に、直参である池元組の組長・池元と直系ではない村瀬組との蜜月関係について苦言を呈す。そして、加藤から村瀬組を締め付けるよう命令された池元は、配下の大友組組長・大友に仕事を任せる。こうして壮絶な権力闘争が幕を開けた…。

 ヤクザの世界で男たちが繰り広げる、裏切りや駆け引きなど壮絶な権力闘争を描いた本格バイオレンス・アクションだ。自分の欲望を満たすためには、手段を選ばず、兄弟分すら叩き潰す。登場人物すべてが悪人というこの異色のドラマは、これまでのキタノ映画の特徴でもある静謐さをかなぐり捨て、膨大なセリフの量と凄まじい怒号が飛び交う異色作となった。タイトルの意味は「極悪非道」。主演のビートたけしのほか、三浦友和、椎名桔平、加瀬亮ら北野作品に初めて出演する豪華俳優陣が、最高のキレ演技を見せているのにも注目したい。

 <能書き=文責・双子山>タランティーノ同様に、やんちゃなたけちゃんは、暴力を突き詰めていったらどうなるかな~という関心から、映像を作り出そうとしているのでしょう。どこか、突き抜けてしまって、ユーモアさえ漂うバイオレンス映画である。

 まあ、「登場人物全員が悪人」なんてコンセプトは、別に珍しくもなんともないのであってさ。そこが主眼でもないような気がするがね。私たちはすでに「仁義なき戦い」という大きなゴールがある。やくざ映画はいくらやっても、そのエピゴーネンにしかならない。しかし、たけしはそれを意識してやっているわけで、それはすごい頑張りなのかな。

 「仁義」のころは「仁義」が「ない」ことを自覚し、そのことへの後ろめたさのようなものもあったのだ。しかし、この映画に横溢しているのは乾いた暴力だけであり、精神の動きはない。実に即物的なのだ。

 菜箸を耳に突っ込み、錆びたカッターで指を詰める。こんなもの、描写はすべてパロディーじゃないか。本当の暴力性って違うだろ?  でも、さすがたけちゃん、その辺は分かっていると思うよ。この映画の本当の凄さはそこから始まると思う。

⇒☆☆☆☆。 私は発想的には陳腐で、バカにするけど、なかなかに凄い映画であると評価する。意外と、好きなんだよ。

スクリーン2010⑳

才能の爆発である

 札幌は快晴。初夏を思わせるほどの天気であった。こんな気持ちの良い天気の日に「告白」を観る。

 <あらすじ・解説=goo映画などより>教師・森口悠子の3歳の娘・愛美が、森口の勤務する中学校のプールで溺死体で発見された。森口は終業式後のホームルームで「娘はこのクラスの生徒ふたりに殺されたのです」と告白。ある方法でその2人に復讐する。4月、クラスはそのまま2年生に進級。犯人のひとりAはクラスのイジメの標的に、もうひとりは登校拒否し、自宅に引きこもっていた。

 湊かなえの同名小説を「嫌われ松子の一生」の中島哲也監督が映画化した。娘を殺されたシングルマザーの教師を、松たか子が演じる。中島監督は、これまでのポップな演出とは打って変わったリアリティあふれる映像を見せる。中学生たちの中に潜む残酷な心が巻き起こした事件が、女教師の告白をきっかけに拡散していく様子は、観る者の心を波立たせずにはおかないだろう。娘を殺された母を演じた松たか子、犯人の母を演じた木村佳乃ともに会心の演技。子どもと母親の関係性、現代の子どもたちの生き辛さを、痛いほどに生々しく描き出した問題作だ。

 <能書き=文責・双子山>スローモーションを多用した映像と、独自の音楽が流れる画面はやはり、「松子」のラインにこの映画があることを示している。もはや「劇映画」ではなく、プロモーション・ヴィデオなのだ。これは悪口ではないぞ。この小説を原作にしたら、こういうアプローチしかないのではないかと思うから。それは「松子」へのアプローチも同じであったが。中島監督の才能に正直なところ、一種、戦慄した。非情に計算された画面構成とアングル、色調。この監督はやはりリアリズムの人ではない。ポップの人だ。まあ、どちらでもいい。その才能を讃えよう。

 松たか子、熱演。すらっと伸びた背筋が気持ちよい。

 中学生役の役者たちも頑張っている。邪悪な年代を嬉々として演じているようだ。

 でも、「現代の子供たちの行き辛さ」などという解釈をすると、この映画は面倒なことになると思うがね。結局は、邪悪なガキどもに子供を殺された母親の復讐劇なんだから。そこであまり、「母性」だの「現代性」を持ち出すと堂々巡りになる。

⇒☆☆☆☆★。問題作である。邪悪なるPV

スクリーン2010⑱

なんか違うんだよなあ

 キャメロン・ディアス主演「運命のボタン」をスガイ・シネプレックスにて観る。原作はホラー・ミステリ作家のリチャード・マシスン。原作の「嫌な感じ」がどの程度出ているか、期待して観たのだが・・・。

<あらすじ・解説=goo映画などより>舞台は1976年のアメリカ・バージニア州のとある街。ノーマとアーサーの夫妻の元に、謎の箱が届けられた。開けてみると、そこには赤いボタンの付いた謎の装置が入っていた。その日の夕方、今度はノーマの元に謎の男が訪ねてくる。その男いわく、「ボタンを押せば現金100万ドルを手にする。しかし、どこかであなたの知らない誰かが死ぬ」。生活が苦しい夫妻は迷った果てにある決断をする。

 自宅に届けられたたった1つのボタンから始まるサスペンス。究極の選択を迫られた夫妻たどる運命を描く。原作は「アイ・アム・レジェンド」などで知られるリチャード・マシスンの短編。かつてドラマ「新トワイライト・ゾーン」で映像化されている。そんな作品の長編化に挑んだのは鬼才リチャード・ケリー。今回も難解かつミステリアスな展開で観客を驚かせる。ノーマを演じたキャメロン・ディアスはラブコメ作品とは異なる演技で新たな魅力を披露。謎の男スチュワードを演じたフランク・ランジェラも存在感を見せている。

<能書き=文責・双子山>原作とはまったくの別物です。結局、「理」では解決できない不条理な原作を、「理」で落ちるように仕立て上げてしまったため、どうしようもなく散漫なストーリーになってしまったような気がする。そもそも、この手の話を、ホラーサスペンスではなくSFにしてしまうこと自体に無理があるのに。しかも、そのSF的結末もわけがわからない。

 夫婦愛、親子愛を描いたつもりなのだろうが、後味はとことん悪い。まあ、マシスンの原作そのものも、キングやマキャモンら、モダンホラーの作家が出た現代になっては、少し古めかしいのも確か。そこに新味を加えるために、かなりの無理をしてしまったようだ。

 しかし、キャメロン・ディアス、その京唄子的なダックマウスと、大柄な肉体は、この作品のヒロインと正反対の位置にいる。大味すぎて無理だ。もっと役を選びなさい。幅を広げたかったという意欲は買うけれども。

⇒☆☆。劇中に流れるデレク・アンド・ドミノスの「ベルボトム・ブルース」が妙に懐かしかっただけ。

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