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覚悟

頑張って生きていこう

新しい年がきた。

 

昨年末、先輩の奥さんが急逝されるという悲しいできごとがあった。

 

朝、倒れられて、そのまま意識が戻らず身罷った。脳出血だという。

 

先輩は今年8月で定年する予定だった。

 

人生設計がまったく、狂ってしまったことだろう。

 

それよりも何よりも、36年も連れ添ってきて、

 

さよならもいえずに永久の別れを迎えてしまったことの悲しみ。

 

本当に、言葉もない。

 

 

 

しかし、私は生きていくしかない。

 

「首が飛んでも動いてみせらあ」

 

と開き直って。

 

 

 

これからは悲しいことばかりが多いのだろうな。

 

でも、生きる。生き抜く。

 

 

 

みなさん、よろしくお願いします。

犬が飼いたい①

覚悟なんだ

 新しい職場に行くにあたっての覚悟じゃないけど、どれだけ、もちこたえられるかというのがあってさ。7月、誕生日が来たら52歳だぜ。

 なんてことも言ってられないわけでさ。まだまだ、働かなくてはね。老後のためにも。

 問題は覚悟なんだ。この仕事をやりぬくとか、この女を一生、面倒みるとかさ。もしくは、この犬の面倒を死ぬまで見るとかさ。

 でも、犬、飼いたいな。

ぼくは生きることにした

50歳だってよ。

 8日をもって、50歳になってしまいました。なんともはや・・・。半世紀、生きてしまいました。何を言えばいいのか。笑うしかありませんね。

 「戦後半世紀」なんて言い方をよくするけれど、たとえば日露戦争が終わってから50年たつと、1955年。太平洋戦争に大敗した日本がある。まあ、時間軸の取り方次第だけどね。大坂夏の陣の後、50年たっても1660年代。明暦の大火か。徳川幕府が体制を強化しつつある時代か。

 生きていることの苦しみ、そして喜び。言葉にすると陳腐なんだが、その陳腐さを乗り越えなければならないのだろうね。

 ぼくが敬愛し、尊敬した人の中には、鬼籍に入られてしまわれた方も多くいます。かつての支局長のOさん、本当に素晴らしい記者だったY哲さん、H報知のNさん。そして同期入社のKくん。本当に優しかったかみさんの母親。

 それらの人々のことを時には思い出しながら生きていくのです。

 このブログを読んでいただいているみなさんの、記憶に残ることができるのか? そんなことはわかりませんが、生きていかなくてはならない。冷笑的にならず、熱狂的にならず、卑下せず、無意味に胸を張らず。これからの10年を生きていくことにします。生きていられる限り、生きていく。そのことだけを胸に、生きていくことにしましょう。

 かみさんからの誕生日プレゼントはメガネでした。「もっと、よく見ろ!」ということでしょうか?

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