三国一の三味線野郎
粋なもんです
すすきのの蕎麦屋さんで、三味線と都々逸の会。お食事つき5000円。柳家紫文師匠の芸を味わいました。お料理もなかなか。更科系のソバもたまには、いいですね。
三味線の音色はいいですね。ちょっと、やってみたくなる。あと、札幌芸者のぼたんちゃん(写真の白い着物)が可愛らしかった!
粋なもんです
すすきのの蕎麦屋さんで、三味線と都々逸の会。お食事つき5000円。柳家紫文師匠の芸を味わいました。お料理もなかなか。更科系のソバもたまには、いいですね。
三味線の音色はいいですね。ちょっと、やってみたくなる。あと、札幌芸者のぼたんちゃん(写真の白い着物)が可愛らしかった!
萩原朔太郎
初めて「詩」なるものに触れたのは、中学2年生のときだった。美術の授業で、萩原朔太郎の詩を読ませて、そこからインスパイアされたものを版画にする、というものだった。
その時の詩は「郵便局」。以下の詩である。いま、考えるとなかなか難しい散文詩ではないか。葛飾区のダウンタウンの学校としてはレベルが高すぎるぞ。
郵便局:
郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるぢやの存在である。局員はあわただしげにスタンプを捺し、人人は窓口に群がつてゐる。わけても貧しい女工の群が、日給の貯金通帳を手にしながら、窓口に列をつくつて押し合つてゐる。或る人人は爲替を組み入れ、或る人人は遠國への、かなしい電報を打たうとしてゐる。
いつも急がしく、あわただしく、群衆によつてもまれてゐる、不思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに來て手紙を書き、そこに來て人生の郷愁を見るのが好きだ。田舍の粗野な老婦が居て、側の人にたのみ、手紙の代筆を懇願してゐる。彼女の貧しい村の郷里で、孤獨に暮らしてゐる娘の許へ、秋の袷や襦袢やを、小包で送つたといふ通知である。
郵便局! 私はその郷愁を見るのが好きだ。生活のさまざまな悲哀を抱きながら、そこの薄暗い壁の隅で、故郷への手紙を書いてる若い女よ! 鉛筆の心も折れ、文字も涙によごれて亂れてゐる。何をこの人生から、若い娘たちが苦しむだらう。我我もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、生活(ライフ)の港港を漂泊してゐる。永遠に、永遠に、我我の家なき魂は凍えてゐるのだ。
郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢやだ。
その後、高校生のころ、中公文庫の「日本の詩歌」シリーズの1冊として朔太郎の巻を購入。その中で出会った「殺せかし!」なる詩のインパクトは大きかった。
殺せかし! 殺せかし!
いかなればかくも氣高く
優しく 麗はしく香しくすべてを越えて君のみが匂ひたまふぞ。
我れは醜き獣にして
いかでみ情けの数にも足らむ。
いやはや凄い画家だ
札幌市南区の札幌芸術の森美術館で開催中の「片岡球子展」に行く。
スケール、色彩、芸術家としての気概。そのどれをとっても、片岡は実に希有な人物であったことが想像される。感動した。
浅間山、富士山、面構シリーズなどなど、50歳を過ぎてからようやく、自分の進むべき道を見つけたのだろうか、作品がギラギラと輝いてくる。年齢を重ねれば重ねるほど、若くなってくるのだ。葛飾北斎ではないか!
もっと評価されるべき画家ではないかと思う。本物の、芸術家である。
たまにこのような本物に触れることで、自分を磨いていかなければならないと痛感した次第である。
圧巻の写楽
今回、京都へ行ったら、全くの偶然なんですが、京都駅近くの美術館で浮世絵展が開かれていました。京都市営地下鉄内のポスターで知りました。行かない手はありません。
「写楽・歌麿・北斎・広重 四大浮世絵師展」です。会場は京都駅に隣接するジェイアール京都伊勢丹内の美術館「えき」きょうと。すかし系のネーミングですが、入場料は700円。まあ、よしとしましょうか。
浮世絵コレクター・研究家の中右瑛氏のコレクションが並びます。中でも、写楽は20点が展示されていました。圧巻でしたね。わずか数カ月で、写楽の作品が劣化していくさまが、よくわかる。背景の雲母がかすれていて、秋に東京で観たボストン美術館のコレクションと比べると、保存状態では落ちるのかもしれませんが。
広重の空間処理、北斎の奇想、歌麿のエロティシズム。浮世絵はやはり、生で観るに限ります。京都出張で貴重な経験ができました。
東京にて俵屋宗達をみる。
東京へ出張。最近、よく行く。いろいろ、素晴らしい展覧会があるから、「ついで」に観てくる。今回は空き時間を活用して、上野の東京国立博物館の「大琳派展」へ。入館料は1500円。でもすごい満員だ。ウィークデーの日本なのに誰も、まじめに働いていないのでは、と思えるぐらいにに人がいる。
難しいよね、日本美術の伝え方は。俵屋宗達の迫力はわかるけど。その継承なんていっても、無理だ。わかるわけがない。下々には(私も含めて)。もう少し、見せる工夫が必要なのではないかなあ。どうにも「上から目線」の展示を感じてしまうのだよ。
「風神 雷神」の描き比べ(俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一)は素晴らしいけど。だんだん、時代を下るにつれて装飾的になり、本来持っていた荒々しさが失われていく様子がよくわかるのだ。それを洗練というのかどうかはわからないがね。
それにしても、すごい人だった。16日までだが、土日何か身動きが取れないのではないか。
結局、何を言いたいんだい?
この前の日曜日、道立近代美術館に「空海マンダラ展」を見に行きました。最終日だよ。すごく、混んでいました。でも、いいですね、北海道で仏像を見る機会、あまりありませんからね。
金剛峰寺の秘宝が並んでいるわけです。でも、一番感じたのは、人間の表現方法って、たいして変わっていないということですね。
運慶作の「八童子立像」が並んでいたのです。それらの彫刻の表情は、まさしく、現代的だった。このことに、単純に驚かされました。
仏教観に基づく表現にしても、人の顔を表現するには、やはり人の顔をもとに表現せざるを得ない-。この意味、わかっていただけるでしょうか? 鎌倉時代初期の作品でも、顔そのものは、21世紀なのですよ。
この発見が、有意義でした。「たいして変わっていない」というのは凄いことなのです。時空を超える、表現への意志。そのことを思い、敬虔な気持ちになったのです。
夜ふかしする人たち
クリスマス・プレゼントをかみさんからもらっていないことを不意に思い出し、インターネットでアメリカに本社がある世界最大のポスター会社「オールポスターズ」にオーダー。1万数千円で、美しいフレーム付きのポスターが届いた。オハイオの同社配送センターから1週間足らずで来るのだからたいしたもんだ、というのはさておき。
オーダーしたのはアメリカの画家エドワード・ホッパーの「ナイトホークス」。1942年の作品だ。
見えますか? 写真がうまく撮れなかったので、詳しくはリンク先の画像をご覧ください。深夜のカフェ。カップルと、こちらに背を向けた男。そして疲れた表情の店員。都会の孤独がひしひしと迫る絵であると思う。「ナイトホークス」には「夜ふかしする人」という意味があるそうだ。さらには「一匹狼」的なニュアンスもあるという。
これから双子山亭を訪れる人たちを、このポスターが出迎えることになるのです。その第一弾は、あした5月5日、双子山霊人山荘で開く今シーズン2回目のガーデンパーティーのゲストであるエコノミスト・松ちゃん夫妻と、エディトリアル・デザイナーのFくん夫妻+レトリバーのえりちゃんということになるのかな? お待ちしてます。
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