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革命

三国一の組合野郎2012①

ロッジでみんな仲良くと

 かつての労働組合仲間の年1回の集まり。今年は去年と同様、小樽・朝里川のロッジに1泊である。

 私たちは夫婦で参加させてもらった。参加者は札幌からはヤンキイ、dog、ジータ、函館からpancho、旭川から漁労長、釧路からベースケ。そのほか、日帰り組として委員長、やゑちゃん、あきこさん、小樽・ド・もっくん。まあ、よく集まりました。

 ウッドデッキでバーベキュー、そしてメーンはヤンキイのお任せ料理=写真は料理中のヤンキイ=。今回はなんと、おでんです。それはそれはタコや卵や大根など豊富な具が、ハイミイをベースにしたしいかりした出汁で煮込まれて、最高の味でした。

2012090816370000_2  それにしても、みなさん、高齢化とともに、食べず、飲まずになってます。翌日に残る素材や酒も、半端でない量です。ちょっと、もったいないです。

 翌日は雷雨。雨の中を遠路帰ったみなさん、ご苦労さまでした。来年も、必ず会いましょうね!

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三国一の組合野郎2012①

さらば、ヘイジよ、また逢う日まで

 かつて組合運動をやっていたころの同志、ヘイジが無事、還暦を迎えた。年金が出るまで、居残って働く人が多い中、ヘイジはすっぱりと会社を辞めるという。そんなヘイジを激励する会を8日夜、札幌市内で開いたのである。

 札幌在住の私、ジータ、スルシャモ、悪魔、dogに加え、函館からヤンキー-、ボンジー、panchoも参加。書記さん2人も加わり、さらには遅れてだが、小樽からモックンまでやってきた。賑やかな会となった。

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 組合をやっていたのは1995年から96年にかけて。17年前である。ヘイジ、当時43歳。私は37歳。月日の流れることのなんと早いことよ。時は流れ、みんな何かを失ってしまった。

 しかしヘイジ、その持ち前の明るい性格と植木等的な調子の良さで、ムードメーカーになっていた。彼がいなかったら、達成できなかった組合的イベントは多いのである。

 お元気に、ヘイジさん。「鬼牛会」のイベントには、お声かけしますから、是非に来てくださいね! また、逢いましょう!

三国一の組合野郎②

鬼牛会忘年会を挙行

 鬼牛会の忘年会をススキノ手前の居酒屋「白ちゃん」で開催する。鬼牛、ヘイジ、悪魔、ズルシャモ、ジータ、dogと私の7人が参加。体調不良を懸念されていた鬼牛、復活である。悪魔、ヘイジも久々の参戦。

 席上、11月の総会で渡しそびれていた寄せ書きと記念品を贈呈。鬼牛の目に光るものがあった。

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 また、dogの目にも光るものがあった。鬼牛が委員長を務めていた年齢と、いまのdogの年齢が同じことが判明。「自分がふがいない」という自責の涙らしい。

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 来年はヘイジ氏が還暦を迎える(5月だそうだ)。「玉」の字入りの記念品を用意してます。

 それにしても、ヘイジ氏は糖尿に悩み、悪魔は五十型(正式には六十肩か)を抱える。持病自慢の集団になってきたな。酒量も減っているし。まあ、平均年齢50歳以上なのだ。無理もないが。

三国一の組合野郎①

普通、来るぜ

 そして、かつての組合運動の同志たちによる鬼牛会の2011年総会を、小樽・朝里川温泉の某コテージで開いたのである。

 主役は、定年により、ついに社を去る会長・鬼牛。ところが、当日朝、鬼はdogに「行けない」とのメールを寄せたのである。従って、総会は主役不在のまま、行われたのである。

 主役なのだ。普通は、這ってでも来るぜ。私は、そう思う。まあ、そうやって外すのが鬼らしいと言えばらしいのだがね。

 しかし、集まりそのものは楽しかったぜ。

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 この財布を贈呈しようとしたのに、、残念だ。

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意外と戦力になったM彦中執。再評価の機運が高まり、「鬼牛会」を「M彦会」に改称する動きも出ている。

タバコを燻らすpancho、奥はヤンキー、真ん中で沈没しているのはもちろんジータ。

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同志がやってきた

panncho来て飲まずにいられることもなし

 まるごと14年前の話になるのか。労働組合運動に携わっていた。私は専従役員として、1年間、運動に埋没する日々を送った。

 その時、活動をともにした同志たちと構築した人間関係は、現在も宝である。

 そのひとり、pancho氏が函館からやってきたので、一献、傾けた。メンバーは同志dog、同志ズルシャモの4人である。

 経済環境を反映して、われわれが働く組織の事情は厳しい。口をつく言葉も、半ば絶望的なものだ。

 しかし、夢を語れなくなってはおしまいだというのが、私の持論だ。そのために、私たちは汗を流してきたのではないのか。したり顔になってはいけない。したり顔で絶望的な未来を語ってはいけない。

 友よ、まだ時間はある。頑張ろう。団結、ガンバロー!

友よ、もっと夢を語ろう

おめでとう! やえちゃん!!

見事、合格だ。

 10数年ほど前に労働組合運動にかかわっていた同志たちが毎年、秋に集まる。当時の委員長の名前を冠して「鬼牛会」という。

 各地にばらついているので、集まりも悪いのだが、今年は札幌で開催した。今回の参加者は私とまっちゃん、ドッグ、ジータにやえちゃんだ。2次会から道東ブランチ支部長のもっくんも合流したが。

 しかし、目玉は、昨年、組合を離れ、社会保険労務士を目指して浪人生活を送っていたやえちゃんの動向だった。

 結果は見事、合格だって。おめでとう、やえちゃん。合格率7%台の難関を突破だ。頑張ったね! 是非に年末には忘年会をやって、やえちゃんファンのずるしゃもらから祝い金をむしり取ろう!

 そんなこんなの祝い酒気分に酔ってしまって、ジータはすっかりデロデロだ。写真はZita 尻を上に向けて熟睡するジータ。室蘭からの参加はご苦労だったが、この男、死ぬまで変わらんのだろうなあ。最高だぜ、ジータ!

35年前の世界

何を考えて生きていたのかわからない。

 先日、東京に行った時、中学一年生の時からの友人、ねせきくんとあった。11月に中学校のクラス会があると聞いた。「へえ」と思った。「ねせきが行くんなら、また、東京に来るぜ」といった。

 懐かしいだけさ。卒業後、35年。一回も同窓会に出たことはない。

 ぼくやねせきくんが出た中学校は、東京都も東のはずれの葛飾区にあります。その葛飾区の中でも、埼玉や千葉に接している地区にあり、本当に田舎にありました。ご存じでしょうか? 今では公園としての名前が高い水元にある中学校なんです。偶然でしょうか、室蘭市にも水元地区に中学校があるらしいです。

 どこまで本当だかわからない不良伝説が多く、さらに本当の不良も多く、混乱の中学3年間でしたね。自分のことは棚に上げると、バカばっかりで、知性のかけらもない学校でした。決してぼくが優等生だったというわけではないですよ。全体のアトモスファーが決定的にダメだった。先生もやる気なさそうだし。その中でも素晴らしい先生がいて、鼓舞されたけども一方のだめな先生で意気消沈したりして。

 とにかく、「早く良い高校に行って、こんな環境から脱してやる!」というのがぼくの心根でした。そのために、ぼくなりの努力をしたつもりです。自慢しても仕方ないけどね。

 それなのに、ぼくは出席はがきに「出席する」と書いたのです。行ってみたいな、と思ったのです。

 たぶん、北海道から出席するやつなんていないだろうな。でも、出ます。なぜ? そのメンタリティーが自分でもわからないのです。

 きっと、誰の顔も名前も一致しない。それでもいいのか。わからない。35年。歳月。いやだ、いやだではなく、そうなんだと受け入れること。

同期と飲む2008①

なぜ、あいつが偉いんだ?

 同期入社の人間と飲むと面白いですね。

 僕は1982年に会社に入りました。それから26年ですか・・・。

 同期入社は26人いました。1人辞め、1人が死にました。

 部長になっている人間が2人いるのです。

 きょう、同期のOさん。同期入社ですが年齢は私より2歳上です。

 彼の同期への悪口雑言罵詈誹謗を聞いていると、本当に面白い。

 「あいつは馬鹿だ」「あいつの文章は小学生以下だ」。

 まあ、四半世紀も会社員をやっていると、言いたくなりますよ。

 「なぜ、あいつが俺より偉いんだ」と。

 まあ、こういう悪口雑言が酒をうまくするという面もある。

 生産的ではないけどね。

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