詩と真実2013①
萩原朔太郎
初めて「詩」なるものに触れたのは、中学2年生のときだった。美術の授業で、萩原朔太郎の詩を読ませて、そこからインスパイアされたものを版画にする、というものだった。
その時の詩は「郵便局」。以下の詩である。いま、考えるとなかなか難しい散文詩ではないか。葛飾区のダウンタウンの学校としてはレベルが高すぎるぞ。
郵便局:
郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるぢやの存在である。局員はあわただしげにスタンプを捺し、人人は窓口に群がつてゐる。わけても貧しい女工の群が、日給の貯金通帳を手にしながら、窓口に列をつくつて押し合つてゐる。或る人人は爲替を組み入れ、或る人人は遠國への、かなしい電報を打たうとしてゐる。
いつも急がしく、あわただしく、群衆によつてもまれてゐる、不思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに來て手紙を書き、そこに來て人生の郷愁を見るのが好きだ。田舍の粗野な老婦が居て、側の人にたのみ、手紙の代筆を懇願してゐる。彼女の貧しい村の郷里で、孤獨に暮らしてゐる娘の許へ、秋の袷や襦袢やを、小包で送つたといふ通知である。
郵便局! 私はその郷愁を見るのが好きだ。生活のさまざまな悲哀を抱きながら、そこの薄暗い壁の隅で、故郷への手紙を書いてる若い女よ! 鉛筆の心も折れ、文字も涙によごれて亂れてゐる。何をこの人生から、若い娘たちが苦しむだらう。我我もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、生活(ライフ)の港港を漂泊してゐる。永遠に、永遠に、我我の家なき魂は凍えてゐるのだ。
郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢやだ。
その後、高校生のころ、中公文庫の「日本の詩歌」シリーズの1冊として朔太郎の巻を購入。その中で出会った「殺せかし!」なる詩のインパクトは大きかった。
殺せかし! 殺せかし!
いかなればかくも氣高く
優しく 麗はしく香しくすべてを越えて君のみが匂ひたまふぞ。
我れは醜き獣にして
いかでみ情けの数にも足らむ。
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