三国一の読書野郎2012※152
身を削って文章を書くということ
西村賢太の「随筆集 一日(いちじつ)」を読む。この作家、キャラクターが強烈すぎて、どうも色物扱いされがちで、当人もまた、その立ち位置を愉しんでいる風も感じられるのだが、その文学的姿勢を私は高く評価する。そして、文章も、また。
<口上>芥川賞受賞の弁から、赤裸々な性体験を書いて話題を呼んだ「東スポ」連載まで。「私小説の救世主」が世相に、政治に、文学にもの申す!
<双子山の目> 自分がダメなことはわかっている。しかし、そのダメさゆえに自分であるという現実の重さというか不条理が、この作家にはわかっている。ある意味、車谷長吉より、「わざとらしくない」。文学とは、格闘技なのだ。あえぎなのだ。小手先の技術ではないのだ。
表題作「一日」の中に、芥川賞が欲しくて欲しくて、その思いを胸に師・る藤沢清蔵の墓前に懸命に手を合わせるシーンがある。この人、嘘はつけない人であると思った。それだけで、良いと思った。
双子山評定:☆☆☆☆
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