三国一の読書野郎※245
感動した。ホリイ、たいしたもんだ
1年に何冊も本を読むけど、「凄い!」と思う本は1割かな。これは確実に1割に入る。コラムニストの堀井憲一郎が書いた「若者殺しの時代」だ。もっとも、書かれたのは2006年何だけどね。もっと早く読んでおけばよかったとつくづく思う。傑作だ。
若者殺しの時代 (講談社現代新書) 著者:堀井 憲一郎 <口上>クリスマスが恋人たちのものになったのは1983年からだ。そしてそれは同時に、若者から金をまきあげようと、日本の社会が動きだす時期でもある。「若者」というカテゴリーを社会が認め、そこに資本を投じ、その資本を回収するために「若者はこうすべきだ」という情報を流し、若い人の行動を誘導しはじめる時期なのである。若い人たちにとって、大きな曲がり角が1983年にあった―80年代に謎あり!ずんずん調べてつきとめた。 <双子山評定>若もは割を食う。80年代に地ならしされ、90年代後半に強固なシステムとなった若者に対する収奪構造。それはまさしく、後期資本主義の最終形態なのかもしれぬ。 「一杯のかけそば」「クリスマス」「ディズニーランド」「ラブストーリー」などのキーワードから、若者収奪システムを解剖する。コンパクトで軟派な見かけによらず、極めて硬派で意欲的な一冊なのである。 それはたぶん、ホリイ自らがその収奪システム構築の初期段階に実際に「若者」だったからだ。私はすでに、社会人になっていて、バブルの恩恵にも、崩壊の余波にも遭遇していないからこれだけ、リアルな感覚としてのバブル真っ盛りの祝祭的空間を実感できないのである。 この本について語りだすときりがないが、もうひとつだけ。 ホリイは居場所がなくなってしまった若もに対して、居場所を確保する方法として2つ上げている。ひとつは社会を破壊すること。もうひとつは社会から逃げること。 破壊は難しい。では、逃げるにはどうしたらいい。 伝統芸能を身につけることだという。そうか、だからホリイは落語を聴き続け、論じ続けるのか。ストン、と落ちた。 ⇒☆☆☆☆☆ |
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