三国一の読書野郎※223
死をみつめること
重松清の最新作「峠うどん物語」を読み終える。少女の成長物語に人が死ぬということの意味を重ね合わせた物語である。重松清、相変わらず、読ませる。
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峠うどん物語(上) 著者:重松 清 <口上>中学2年生のよっちゃんは、祖父母が営むうどん屋『峠うどん』を手伝っていた。お店は市営葬儀場の向かいにあるが、『峠うどん』のお手伝いが、わたしは好きだ。どこが。どんなふうに。自分でも知りたいから、こんなに必死に、汗だくになってバス停まで走っているのだ。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん。そして『峠うどん』の暖簾をくぐるたくさんの人たちが教えてくれる、命についてのこと―。 <双子山評定>重松得意の人情噺である。泣かせの仕掛けはあちこちにあり、ついつい、涙腺も緩むというものだ。 いつかは迎えなければならない「死」というものを、主人公である中学生の少女はどのようにとらえていくのか。死から逆算して、生きることの意味に光を当てる。今こそ、読まれるべき物語なのかもしれぬ。 しかし、もう少しあくの強い物語があってもいいかもしれぬ。ソフト過ぎるというか、人情落語のようなというか。もう少し、コクのある物語を作れないものか。そこに、作家としての重松清の乗り越えるべきハードルがあるのではないか、とふと思ったのである。老婆心ながら。 ⇒☆☆☆☆
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