三国一の読書野郎※65
彼らは何をなそうとしたのか
山平重樹「連合赤軍物語 紅炎」を読む。1960年代末の羽田闘争から72年のリンチ殺人、あさま山荘事件まで、連合赤軍の青年たちがたどった愚劣なまでにまっすぐな青春を描くノンフィクションだ。それにしても、何と空しい青春だったのだろう。
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連合赤軍物語 紅炎 (プロミネンス) (徳間文庫) 著者:山平 重樹 著者は1953年生まれ、ヤクザもののルポなどが得意なライター。シナリオも書き、数本がVシネマになっている。民族は学生運動の経験者でもあるそうだ。(三国一の読書野郎※の52にも登場している)。なるほど、新左翼運動もある意味、ヤクザ、暴力団のスプリットとどこかで底がつながっているというわけか。初出が「週刊アサヒ芸能」というのも、ヤクザっぽいよなあ。 「革命」に青春を捧げること。人民のために己を捨て去ること。まじめすぎるほどまじめな青年たちは、その目標を信じ、散っていった。愚かであるが、罵る気持ちにはなれない。それはある意味、私自身のあり得た姿でもあるからだ。 死に至る総括。「こんなのは革命ではない」となぜ、誰も口にできなかったのか。組織の論理の前に、人はいつも不自由でありすぎる。 永田洋子も先日、病死した。重信房子も逮捕された。時代は激変した。私は、何もなしえなかった私は、ただ呆然と立ち尽くすことしかできないでいる。 一水会・鈴木邦夫の解説が秀逸だ。新左翼運動は極めて右翼的な反米愛国運動であった。革命を皇とする、尊皇攘夷運動であった。 「革命が成功しなかったから『忌まわしい事件』」としてたたかれた」とあるが、そうか? なそうとしたことの高貴さが、なしたことの愚劣さを補償することはないと思うのだが。結果における責任しかないだろう。あらゆる情勢分析的にも、彼らは誤っていたはずである。 しかしまあ、いろいろなことを、考えさせられる一冊だ。 →☆☆☆★
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