三国一の読書野郎※61
歴史を語る意味
やはり、この人の語る歴史は面白い。講談という意味ではなく、歴史的事実を考えさせるという意味で、面白い。半藤一利「あの戦争と日本人」である。
![]() |
![]() |
あの戦争と日本人 著者:半藤 一利 「昭和史」「幕末史」に次ぐ歴史探偵・半藤一利の語りおろしであるから、面白くないわけがないのだ。「幕末史と日本人」から「昭和天皇と日本人」の11章からなる。 「統帥権」が魔法の杖であり、軍部独走を招いたとする司馬遼太郎史観に対して、「ちょっと違うのではないか」と異議申し立ても。史実はそのような単純なものではなかったと、資料をもって証明する過程はスリリングでさえあった。 問題は日露戦争であった。薄氷の勝利であったのに、「大勝」と勘違いした国民は、次第に野郎自大的な国家観を抱くにいたった。 政治家も日露戦争後は次第に小粒化し、日露戦争後に膨れ上がった国家自意識のもと、拡大政策に走った。遅れてきた帝国主義国家として、日本を規定したのである。 半藤一利は「熱狂」を戒める。日露戦争後、太平洋戦争敗戦に至る道を敷いたのは国民の「熱狂」である。その熱狂に対し、火をつけ、油を注いだマスコミの責任もまた、大きいことは言を待たないが。 「熱狂」しないために、半藤一利は歴史を語り続けるのである。まだまだ、語り続けてもらいたいものである。 ⇒☆☆☆☆ |
« 三国一の読書野郎※60 | トップページ | 三国一の読書野郎※62 »
「読書2011」カテゴリの記事
- 三国一の読書野郎※289(2011.12.31)
- 三国一の読書野郎※288(2011.12.31)
- 三国一の読書野郎※287(2011.12.30)
- 三国一の読書野郎※286(2011.12.29)
- 三国一の読書野郎※285(2011.12.26)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント