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読む快楽2010※49

団地は一回りして新しくなったのか?

 原武史、重松清の対談集「団地の時代」を興味深く読み終える。私もまた「団地の子」であったからだ。そこから脱したくて仕方がなかった。「団地的なるもの」を呪詛した私がいる。

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 高度成長期に、先進的な住まいとして供給された団地は、まさしく、時代の最先端を行く居住空間として注目された。競争率は高く、何十倍という数字が喧伝されたものである。

 かつての、時代の先端を行っていた団地には、おじいちゃん、おばあちゃんはいなかった。核家族が住む空間だったから。しかし、時は流れ、これだけ少子・高齢化が進むと、団地は空洞化する。おじいちゃん、おばあちゃんしかいなくなってしまった。建て替えを余儀なくされ、一種のスラム化さえ懸念される。

 原は西武新宿線沿線の滝山団地で育った。団地特有の、そのころの左翼的雰囲気は自著の「滝山コミューン一九七四」に詳しい。ちなみに、私が育った団地では共産党的な勢力はあまりなく、創価学会がその受け皿になっていたような気もするが、幼かったのではっきりしない。しかしこれは、公団住宅と都営住宅の所得層の違いに由来するものであるような気はするが。

 いずれにせよ、団地に輝きがあったのは70年代の半ばまでだ。

 しかし、最近では孤独死させない運動を展開する団地自治会も出てくるなどして、団地の再活性化も進んでいるようだ。「幸せな老い方」を模索する流れがあるようだが。

 マンションとは異なる、一種の共同性を余儀なくされる団地。地域コミュニティーの回復という意味では、時代はちょうどぐるりと一回りして、団地の長所が見直されるようにもなってきたようだ。わが団地暮らしを省みて、今昔の感あり。

⇒☆☆☆☆団地生活経験者、必読です。

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