最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 昼食としての現在※72 | トップページ | 昼食としての現在※73 »

詩と真実①

萩原朔太郎が身にしみたころ

 詩が好きだった。大学1年生のころまで、調子こいて、詩作までしていた。自分には才能があると思っていた。すべては、幻想だったわけだが。

 特に身にしみて読んでいた詩人は萩原朔太郎だった。「月に吠える」における、その歪んだ、退嬰的なイメージは中学、高校生の身にはきわめて新鮮だった。大正デカダンとでもいうのだろうか、モダニズムともまた異なる、独自の詩心に感化された。

 なかでも晩年の詩集「氷島」(1933年)に収録されている「殺せかし! 殺せかし!」。今でも暗唱できる。

<殺せかし! 殺せかし!>

いかなればかくも気高く

優しく 麗しく 香しく

すべてを越えて君のみが匂いたまふぞ

われは醜き獣にして

いかでみ情の数にも足らむ。

もとよりわれは奴隷なり 家畜なり

君がみ足の下に腹這い 犬の如くに仕えまつらむ。

願わくはわれを踏みつけ

侮辱し

唾を吐きかけ

また床の上に蹴り

きびしく呵責し

ああ 遂に

わが息の根の止まるときまでも。

われはもとより家畜なり 奴隷なり

悲しき忍従に耐へむより

はや君の鞭の手をあげ殺せかし。

打ち殺せかし! 打ち殺せかし!

 ・・・・どうですか? なかなかにすごい詩でしょ。戦争への道を進もうとしているとき、こんな詩を発表していた朔太郎もすごいけどね。詩の真実はこんな反時代的なところに存するような気もする。

 でも、なぜ、こんな詩が身にしみていたのかな?

« 昼食としての現在※72 | トップページ | 昼食としての現在※73 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 詩と真実①:

« 昼食としての現在※72 | トップページ | 昼食としての現在※73 »

2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31