らくごん2009⑤
三遊亭円楽師匠の死
円楽師匠が10月30日、お亡くなりになりました。健康を崩され、国立劇場での「芝浜」がうまくできなかったゆえ引退を決意。腹黒の弟子・楽太郎に「円楽」名跡を譲ると表明されていましたが、あっという間のことでしたね。
円楽師匠といえば、新聞の見出しにもなっていましたが「笑点」です。しかし、これだけ言われるのも師匠にとってどうなんでしょうか?
若いころはそれこそ「星の王子さま」じゃありませんが、きざなムードでメディアに露出しましたが(こんなレコードも出しています。ジャケット写真はたぶん、松岡きっこでしょう)、自らがやりたかったことは古典落語であり、その中でも人情話だったのでしょうね。
円楽のプレイボーイ講座12章 (紙ジャケット) アーティスト:前田憲男とプレイボーイズ |
結局、師匠の円生に殉じてしまわれたような印象があります。落語協会脱退と独立、直後の円生の死。そして寄席「若竹」運営による莫大な借金。円楽師匠は落語ができず、世間の雑事に追われてほとほと、嫌気がさしたことでしょうね。
しかし、経験を得た噺家が必ずしも、人情話に戻ればいいとも思わない。円楽師匠、苦労しすぎて、途中から、なんだかつまんなくなっていった感がしないでもない。まさに「笑点」的な枠の外から出なくなってしまったというか。弟子たちも不肖のやつらが多いようで。腹黒・楽太郎ごとき、何もやってないじゃないですか!
なしえたことがどれだけだったのか。噺家って結局、そこでしょ? あれだけ好き勝手にやってきた立川談志がいるのですから。
志ん朝師匠の死とともに、現代落語は別の次元に行ってしまったのでしょうか?
しかし、円楽師匠は何かを変えようとした。変えられなかったにせよ。
どうしようもないのは、小遊3とか行楽とかラーメン屋ですよ! 面白くも何んともないのに、落語でござい、って言ってる奴らですよ。
ウタさんも感心できません。ライスボールの弟子なんですから、面白くないのはわかってますが、最近は説教臭くて。国立劇場で毎年夏にやる「真景累ヶ淵」、本当に面白いと思いますか?
違うんです。落語のことをまじめに考え続けてきた円楽師匠。もう少し、何かができたはずなのに、最後の最後に守りに入った感じがするのです。その相手が、腹黒・楽太郎というのがねえ・・・。
師匠の博識さ(談志は知ったかぶりだけ。本当のインテリは円楽師匠だ)、凄いと思いました。
・・・いなくなられたと思うと、ものすごく、さびしいですね。本当に。だから、たぶん、「笑点」がなくなったら哀しいのでしょうかね。
« スクリーン2009※26 | トップページ | 冬の足音 »
「落語」カテゴリの記事
- 三国一の落語野郎2017①(2017.07.30)
- 三国一の落語野郎2013①(2013.11.14)
- 三国一の落語野郎2012⑦(2012.12.08)
- 三国一の落語野郎2012⑥(2012.09.16)
- 三国一の落語野郎2012⑤(2012.08.29)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント