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本を読む日々2009②

クラシック音楽と資本主義的害毒

 宮下誠という西洋美術史家による「カラヤンがクラシックを殺した」を読む。挑発的なタイトルからわかるように、カラヤン以後、音楽から決定的な何かが失われたとする告発の書である。商業主義に堕したカラヤンの作り出した音楽は大衆に迎合し、単なる、わかりやすい美を追求するにとどまったというわけである。

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 時代がかった大げさな記述やペダンチックさが鼻につくけれども、なかなか面白く読ませる。カラヤンの対抗軸にオットー・クレンペラーとヘルベルト・ケーゲルを据えたところがみそだ。

 要するにカラヤンの音楽は健康的でありすぎる。しかし、私たちが生きてきた20世紀はそんなに健康的であったのか? 音楽をそのようなかたちでしか受容することができないとしたら、それは人間存在そのものに対する有効性を何らもたない。まあ、このようなことが言いたいのだろうな。

 それほどまでに、クラシック音楽を聴き分ける耳を持っていないので、著者の指摘がただしいのかどうか、正確に判断はできないのだが・・・。

 カラヤンの商業主義的傾向はこれまでも強く批判されていたことである。いわゆる「クラシック通」はカラヤンなど、今となってはほとんど相手にしていないことも確かである。その死後、急激に聴かれなくなってしまう音楽。それはまた、悲劇であり喜劇だ。そこにカラヤンの本質があるのなら、真の悲劇だ。

⇒☆☆☆★

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