書評2008◎59
時代変われば美風も変わる。
吉村昭の「敵討」を読む。
中編二作が収められている。幕末、父と叔父の敵を追って十数年の追跡の果てに、敵討を成就した伊予松山藩士を描く表題作と、幕末、反省をめぐる内紛から惨殺された父母の敵を追ううちに明治になり、敵討が殺人罪となってしまった時代を背景にした「最後の仇討」だ。ともに実話である。
著者:吉村 昭敵討 (新潮文庫)
販売元:新潮社
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よく知られていることだが、江戸時代の制度化された敵討も、成就するものの数は少なかったようだ。何十年とあてもなく敵を追いながらも力尽き、果てていった者が多いというのだ。まあ、そうだろう。情報の集積の少ない時代に、微かなる情報をもとに、敵を探し求めていくのだから。
「敵討」では、敵が時の権力者と結びついてしまったため、発見に遅れたという背景がある。「最後の仇討」は父母を惨殺されたときに11歳だった少年が、明治の時代にも意思をかたく持ち、敵を討ったことと、敵討に対し、野蛮であると批判する部分と、未だ美風であると礼賛する部分が相まった当時の社会的意識の総体が興味深いような気がする。
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