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スクリーン2008※21

鳥肌立つ傑作。

 「ダークナイト」"http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD12567/index.html"を観てきました。傑作です。鳥肌が立ちました。今年の洋画では1、2位を争いますね(それほど観てないけれども)。

 ダークナイト

 数日前の「DVD観賞録」でも書きましたが、この監督は善と悪との微妙な差異に徹底的にこだわっているようです。善と悪、光と闇といった二元論的対立の間にはほんのわずかな差異しかないことを、ハリウッド・アクション映画の文体の中で描出しようとしている。これは極めて才能ある人間にしかできないのではないかと思います。

 悪の権化・ジョーカーは、絶対善を希求するバットマンとコインの表裏の関係でしかない。悪にまみれたゴッサム・シティ浄化のために戦うデント検事もまた、善悪の中で自己分裂を起こしていく。

 今年1月に薬物中毒で急死しした、ヒース・レジャー演ずるジョーカーがすごい。鬼気迫る演技とはこういうものをいうのだろう。警察署の取調室でバットマンと対峙するシーンは、ちょっと菅原文太の「県警対組織暴力」を想起させたが。

 派手なアクションの連続で飽きさせないし、異様なテンションが全編を覆っていて、2時間30分があっという間に過ぎていく。その独自の暗さをバットマン・ダークとでも呼んだらよいのだろうか。もしくは、ダークナイトと評すべきなのか。いずれにせよ、傑作であることは間違いないことを繰り返しておく。文句なし、☆☆☆☆☆だ。

 

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コメント

 双子山親方は僕ら旧人と、新人類の中間に位置する両性具足の世代だと認識しています。あえていえば僕らに近いフィーリングだと。しかし、「傑作です。鳥肌が立ちました」を惹句と見出しに使うのを見てしまうと、「ああ、やっぱり…」と鳥肌が立ってしまいます。えもいわれぬ感動をした時、肌が粟立つのは旧人、新人いや人類普遍の生理でしょうが、古来、「鳥肌が」という表現は嫌悪感とともにありました。文は時代の同伴者ではありますが、私は職業柄、文体、言葉遣いの誤用が慣用化することに恐怖感を抱いています。揚げ足取りは本意でありませんが、一応、同業界にいる者として気になったので。

 そういうキタさん、先のコメントの文頭で僕と書きながら、いつの間にか私になっていました。これも文体の乱れ。恥ずかしい。親方の映画評を楽しく読んで、シネガイドとして利用させてもらっています。これを先に書くべきでした。

「鳥肌立つ傑作」とは
単純に、素晴らしい作品という意味だけではなく、究極の悪という醜さを芸術的に昇華しているという意味を含ませたつもりなのですが。
寒さや恐怖などによって生じる肌の粟立ちというのが、即物的な意味でしょうが、嫌悪のみに使うという意識は私にはありませんでした。

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