たくろうとは何か④
それでもやはり・・・
しかし、だ。もう拓郎は時代遅れなのかも知れぬ。なに、時代遅れでもかまわんのだが。いたずらに、時代と併走する必要などないのだが。
しかし、現在の拓郎は決定的に時代とずれてしまっているような気もするのだ。私どもが「過去の拓郎」をまぶしく仰ぎ見るのも何だか時代錯誤的な感じがしてくるのだ。
先日、「キャンディースの解散30周年フィルムパーティー」が行われていた。テープが乱れ飛び、歓喜の涙を流すオーディエンスがいた。でも、私は「何か違う」と思った。
ランボオは「地獄の季節」で「絶対に現代的でなければならない」とうたっていた。そう、「現代的」でなければならないのだ。それは時代に媚を売ることでもなく、併走することでもなく、精神の持ち方のひとつのスタイルとして。
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