だ、か、ら、さ2008①
モチ食うな。
今年もまた、例年のように、モチをお食べになって老人が亡くなりました。東京では4人ですと。でもこのへんのニュース、みなさん、どうですか?
なぜ、死ぬのわかってってモチ食うねん? そんな突っ込み、入れたいですよね?
「台風が接近しています」のニュースを聞いて河に行き、転落する農夫。行くなよ、といっても行ってしまうサムシング・エルス。
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コメント
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10年前よりは、この手の事故は減っているんでしょうが、年を取り肉体が衰えるって、去年できたことも、今年はできなくなるってことなのかなと思います。
頭や意識が、フィジカルな衰えについていかないこともあるだろうし、こういう事故をゼロにすることは難しいかも。
餅の事故はともかく、老人の交通事故も怖いです。フィジカルな衰えに対する自己認識が甘いって意味では、根っこは似てると思うんですが。
投稿: 網 | 2008年1月 6日 (日) 14時30分
お正月に救急車が走ってるのを見ると、すべてモチに見えます。
あー、モチが走ってる。と。
酔っ払ってお風呂と似ているような気もします。好きですが。
投稿: ウバタマ | 2008年1月 7日 (月) 23時20分
亡くなったお年寄りも、亡くなる直前まではお餅を食べていたわけです。亡くなった原因となった餅が生涯に食べた1万個目とすれば、9999個までは安全に食べていたわけです。
交通事故でも同じ。9999回、無事に運転していても1万回目に事故に遭う、もしくは事故を起こすかもしれない。
人生を微分すると、ぎりぎりのところの何かが立ち現れてくる。
投稿: 双子山親方 | 2008年1月 8日 (火) 10時33分
>9999回、無事に運転していても1万回目に事故に遭う、もしくは事故を起こすかもしれない。
そりゃそうなのですけど、車で迷子になったあげく、高速道路を逆走して「無事に」捕まったおじいさんのニュースが、気にかかってたものですから、つい。
事故に至らないまでも、能力的にもう限界なのだけれど、運転免許も車も手放せない、あるいは手放さない老人たちがいて、これが静かに増えてるんですよね。
免許持ち車持ちが当たり前の団塊の世代が、70代を迎えると、どうなるかな。
大きな事故が起きて、一気に社会問題化→法制化といういつものパターン?
普段の生活の中で、静かに自分の肉体の衰えを察知した上で、自主返上ができたら、法は必要ない。
人間の自由と尊厳の観点からも一番美しいけれども、法がなければ個人の勝手、俺が悪いんじゃなくて、法律で縛らないのが悪いんだ、と言う世の中では、そんな考えは、絵に書いた餅以下です。
「老人、逆走で逮捕」のニュースを見ると、何となく寂しい気持ちになる今日この頃。
投稿: 網 | 2008年1月 9日 (水) 17時58分