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スクリーン2007②

アフリカ的現実について

 レオナルド・ディカプリオ主演の「ブラッド・ダイヤモンド」をスガイで見る。内戦下のアフリカ・シエラレオネで、反政府ゲリラに捕まった漁師がダイヤモンド採掘場で発見した100カラットのダイヤモンドをめぐって繰り広げられる争奪戦を描いたアクション・サスペンスだ。

ブラッド・ダイヤモンドとはいえ、かなりの問題意識を喚起させてくれる映画でした。実際に「紛争地ダイヤモンド」問題はあるそうです。

 この映画に出てくる反政府ゲリラ、「革命」を標榜しつつも最低の連中で、漁村や農村を襲っては、無意味に住民を虐殺し、成人男子の腕をオノで切り落とし(選挙に行って投票できないようにするためだとか)、そして子供たちを略奪し、少年兵士として殺人マシンに育てていくのです。どこが「革命」なのだか。まあ、秩序の転覆か・・・。

アフリカ、先の「ブラックホーク・ダウン」じゃないけれども、生命というものの基準がどこか、アジアの平和ボケの大国とは違うのでしょうか。なぜ、自国民をたやすく、抹殺することができるのか? 「部族」なんていったって、隣町の住民みたいなものではないのかなあ。ちょっと、違うか?

内戦とは一番悲しい、民族状態だよな。内戦状態の会社もあるみたいだけどさ。まあ、そんなことはどうでもいいか。

ディカプリオ、良い俳優になったぜ。ちょっとオッサンぽくなって、そこが良いんだ。タフな感じが出てきたね。そして何よりこの映画の成功は、ダイヤモンドを見つける漁師の凄みに寄りかかっている。今年のオスカーの助演男優にノミネートされたという。

単なるエンタティンメントじゃなく、アフリカの現状を、かなりリアルに示す映画ではないでしょうか。

でも近代国家の概念なんて、かってに欧米人が生み出したものなのかもしれない。アフリカ的国家があっても、それはどこかで、認識しなければならない問題だよね。発端が植民地支配にあったと必ず、アフリカは主張するだろうけどさ。

☆82点⇔10歳にも満たない子供を兵隊にする。人を殺させる。マルクスがそんなことやれといったか!

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コメント

>「部族」なんていったって、隣町の住民みたいなものではないのかなあ。ちょっと、違うか?

みんなが同じように貧乏なときは、そうでもありましょうが、富が絡むと違うのではないですかね。
石油やダイヤモンドなんて、露骨に換金性の高いモノが出ちゃうので、いっそ悲惨になってしまってるように思います。

>成人男子の腕をオノで切り落とし

ところにも拠りますが、成人でなくても、小さな男の子がそのような目に遭うことも、珍しくはないようですよ。
目的は、畑仕事などの糧を得るための労働すらできないようにするためとも聞きますが、わたしが思うに、男の子が成長した暁に、復讐されることを恐れる、という心理が強く働いているのではないかと思います。

見た目には全く見分けの付かないツチ族とフツ族の壮絶な殺し合いも、まだ記憶に新しいんですけど、あれも、富の偏りが発端だったはずです。

彼らの社会における「部族」の意味するところを、日本人が正確に理解するのって、ちゃんと勉強しないと、難しいかもしれません。

わたしも、よくわからないのですが、国という概念を、彼らが理解するのって、難しいんじゃないでしょうか。
というのも、「国」が彼らの生活を守ってくれてる実感が薄いんだと思うんですよ。
だって、困ったときや守ってもらいたいときに、「頼れる」存在って、実のところ「部族の長」しかいないんじゃないでしょうか。

「国」や「政府」があっても、うまく機能させられなければ、働かない「給料泥棒」を増やすだけなのは、日本だって同じですよね。

イラクを見れば、日本人から見ると複雑すぎる民族構成の上に、宗教派閥も絡む部族社会(「従兄弟社会」と言う人もいますね)だから、フセインのたがが外れてしまったら、収拾が付かなくなりました。

民族と宗教と部族。
このうちの一つだけでも、局地的な紛争や内戦の要因になりうるものを、ひたすら「力」でまとめていたフセイン政権を、いっぺんにひっくり返しておいて、いきなり民主主義って、難易度高すぎ。
もしくは、脳内お花畑ではなかろうか。

さっき、スカパーで、「マッドマックス2」を相方が観てました。
オイルを巡るサバイバルなのですが、今見ると、また違う意味で面白いですね。
アフリカでは、中国とアメリカが、石油目当てのニアミスを繰り返しているらしいではないですか。

エネルギー問題は、20世紀から戦争の原因です。
残り少ない化石燃料を巡って、紛争に巻き込まれるよりは、原発の方がややマシか。
原発で時間稼ぎして、最終的には、太陽光などの自然エネルギーへと、日本はシフトしようとしてるんだと思いたい。

>網さま
そう、全く違うパラダイムが存在するのでしょう。「国」なんてなくてもやっていける状態が、理想的といえば理想的なのですが、グローバリズムの中、そんな原始共産主義的、もしくは前近代的なコミュニティーは存在しえない。
また、中国なんかにも思うことだけど、交換不可能性としての人命という概念がないんだよなあ。
戦後民主主義の洗礼を受け、「生命は地球より重い」の国に育った立場からすると、それは異様なものに映りますね。

>交換不可能性としての人命という概念がないんだよなあ。

抽象的な概念が、通用する国って、そんなに多いですか?
外国のことは知りませんが、日本人でも、抽象的なことを考えるのが苦手な人は、とても普通に見かけるけれど。
そういう「抽象概念」と無縁の人たちの「常識」が壊れてきているのが、今の体たらくな気がするんだけれどな。

きっと気のせいなんだろう。誰もそんなこと言わないし。

>網さま
「交換不可能性としての人命という概念」は抽象的ではなく、むしろ、個々人の存在という意味では個別具体的な意味で使用しました。A=A、であるというこtなのです。

具体的な「誰か」という意味のことを、「概念」という抽象的な言葉で表現しないはずだと言う思い込みがありました。
失礼しました。

わたしの知っている中国の人は、「中国はたくさん人がいるから」って言い方を頻繁にします。
それを聞くと、何だか寂しくなります。
何か言いたいけど、うまく言葉にならないんですよね。
「たくさん人がいるから、どーなのっ!?」って感じかな。

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