昼食問題65
どうなんだろうね?
会社近く、時計台の横にできたばかりのすし屋に職場のN先輩と行く。札幌市中央区北1西2、時計台ビル時計台ビル1階「町のすし家 四季花まる」。3月1日にオープンしたばかりだ。確か、根室発祥の回転すしだったと記憶するが。
ところがここのすしは回っていないのだ。数寄屋造りのインテリア。カウンターにボックス席、小上がりもある。板場では職人さん5、6人が忙しそうに動き回っている。
注文書にチェックを入れて店員に渡すシステム。1皿2カン。126円×2=252円の皿がメーン。最も高いのはウニ、大トロやあわび、タラバなどの315円×2=630円の皿。これだけでラーメン1杯分だな。
手前から、活ホッキのひも、ズワイガニ、煮アナゴ、シマアジ、たこ頭。縦になっているのは以下の上に辛みそが乗った「イカポン」だ。
ひもはうまかった。ほんわりしたシャリと、しゃきしゃきしたひもがあっている。アナゴは凡庸。シマアジもまあまあだったが、身は厚かった。たこ頭はうまい。柔らかく、もっちりした身が口の中で溶ける。イカポンはまあまあか。
概して、シャリはいける。ネタも道内ものならば、かなりよろしいのではないだろうか。
ただ、どうなんだろうか。サラリーマン向けの店ではないような気がする。回転寿司は郊外型大型店などに隣接させれば、家族連れがやってきて繁盛する。ここは、時計台を見に来た観光客が、「あ、おすし屋さんだ」と発見。道内ネタがあることを売りにして、繁盛していく目論見なのだろうかな。
今はオープン記念で126円ものが全部100円。それでも、腹いっぱい食べたら、普段のランチ価格からかなりオーバーするだろう。どうなんだろうね、今後の展開。
でも、花まるのHPは面白いよ。ご参考まで。
☆①味16点②オリジナリティー16点③接客15点④コストパフォーマンス12点⑤16点⇔75点。一度行ったら、次は・・・という感じもするのだが
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コメント
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いつもは、食のネタには反応しませんが。
元が回転寿司であろうとなかろうと、一応お寿司なんですから、「ラーメン1杯分」なんて書かなくても。(笑
親方の食道楽(にかける情熱?)は理解しますが、「お腹一杯」食べるのは、ゆっくり食事ができるときだけにしては如何ですか?
中年以降のサラリーマンが、ランチタイムに満腹なんて、もってのほかです。絶対に太ります。
昔から、「腹八分目、医者要らず」って言うでしょう。
満腹して太らないのは、(運動不足でない)子どもだけだと、わたしは思っております。
投稿: 網 | 2007年3月12日 (月) 01時32分
いや、網さん、「腹八分」とコストパフォーマンスは別物だよ。
こちらも、もはや満腹になるランチを望んでいるわけじゃない。食も細くなりました。
でも2カンでラーメン1杯分の値段がするすしは、どうみてもコストパフォーマンス的に見てもいかがなものか、です。
個人的にはサラリーマン向けにランチメニューを充実させたらいいのに、と思ったまでです。
投稿: 双子山親方 | 2007年3月12日 (月) 19時21分
>サラリーマン向けにランチメニューを充実させたらいいのに、と思ったまでです。
うーん。
OL経験も、札幌と東京で、6年ばかりあるんだけれど。
寿司屋のランチでコストパフォーマンスって、期待していいのかどうか、よくわからない。
食べに行ったことないし。
それはともかく、ランチメニューの充実って、どこへ向かうんでしょう。
OL時代は、小・中・高校以来のランチタイムの短さに、何を食べても、まともなものを食べている気がしなかったんですが。
死なないように、食べていたような気がします。(笑
実家があんなふうなので、今でも、一人でご飯食べるのは苦手です。
「酒とつまみ」なら、一人でも大丈夫。(笑
投稿: 網 | 2007年3月12日 (月) 23時22分
いろいろな考え方があると思います。
立ち食いそばから、コンビニ弁当、ファストフード、そしてランチタイムメニュー。
「個食」とでも言うのでしょうか、職場でも、会議室で1人でデパ地下やコンビニで買ってきた弁当などを食べている人がいます。それは人好き好きだけど、どこか、お店に行って、話をしながら食べる昼のほうがまともなような気はする。何をもって「まとも」というかはわからないけど。
考えてみれば、昼食のありかたそのものが論議の対象なんだね。スゴイ時代だよね。
投稿: 双子山親方 | 2007年3月12日 (月) 23時37分
ランチと言うか、「食事」、何を食べるかも含めて、「食」ということそのものが、問い直されているような気もします。
「食育」なんて概念自体、子どもの頃にはなかったですもんね。
「個食」へ傾く動きは、しばらくは止まらないでしょうね。
今、「個食」を志向する人たちは、恐らく子どもの頃から、家庭環境に、そういう傾向があったはずだと思っています。
家族で食卓を囲んでいるようでも、実はめいめいが好きなものを食べている、とか。
「食」というのは、非常に保守的なものだから、子どもの頃からそういう生活をしていると、大人になってそれを変えるのは、とても難しいのではないでしょうか。
また、それで困ることでもない限り、変えよう、変えたい、という発想も、湧きようがないのではないか。
そんな風に思います。
で、彼らが社会人になり、家庭を持ち、子どもを育て始めてから、「食育」という概念を発明せざるを得ない「問題」が、立ち現れてきたような気がしています。
投稿: 網 | 2007年3月14日 (水) 01時08分