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本を読む71

「あいつだけは生かしておけない」

 と思う奴が誰にでも1人はいるはず(←いねえよ!)。氏家幹人の「かたき討ち」は、江戸のさまざまな敵討ちを読み取りながら、そこにこめられた精神性やイメージの変遷をたどる。

かたき討ち―復讐の作法 Book かたき討ち―復讐の作法

著者:氏家 幹人
販売元:中央公論新社
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氏家はその著作が出るたびに必ず買い求める著述家の1人だ。その史料読解力と独自の視点からの日本史(特に江戸期)の再構成が、何とも魅力的だ。同じような日本史ものの著述家の山本博文が主に武士社会の政治過程をめぐった論考が多いのに比べ、氏家はより広い、口碑にも近い史料も駆使して、民衆の裏面にも光を当てている。

 離縁された女が納得できずにかつての嫁ぎ先に討ち入る「うわなり打」、遺恨の相手の名前を遺書にしたためておいてから、自らの腹をかき開き、相手にも切腹を迫る「さし腹」など、人々が溢れ出でる憎しみ・恨みを解消する手段としての敵討ちを詳述していく。そのさまざまな復讐方法に目を見張る。

 一方で憎しみの解消策には作法がないから、憎しみは憎しみの連鎖を生む。そこで、敵討ちは幕府が管理するものとして変質していく。その過程が何とも、スリリングである。

 特に興味深かったのは江戸初期のころの武士の死生観である。要するに、病気などによる死は不自然な死であり、戦場で血まみれになっての死こそが自然であるということだ。畳の上の死を恥じる思想だ。この死生観からすると、武士は、闘って死ぬことこそが、前提としてあった。その「闘って死にたい」とする心性を誰もが理解していたからこそ、敵討ちが制度として成立していたー。示唆に富む指摘であった。

☆80点⇔新書というコンパクトなかたちで、タイトルどおり、「復讐の作法」が学べます。

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