ジャズ、イズ⑲
こんなにも悲しいもの
真夜中に「ケルコン」を聞いていると、悲しくてやってられない気分になってくる。酒を飲んでいるとなおさらだ。 こんなにも悲しくも、美しい音楽が人を狂わせる。キースのピアノは悲しみに驀進する。
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ザ・ケルン・コンサート(でかジャケ) アーティスト:キース・ジャレット |
このアルバムを初めて聞いたころも僕は悲しんでいた。まだ19歳、すべては輝く時代だったはずなのに。このキースのピアノの響きとともに、僕は沈んでいった。ランボーではないが「気難しさが原因で/僕は一生ふいにした」のだ。
忘れようとしても忘れらない1枚。僕の人生が変わってしまったころに出会った1枚。
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コメント
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ケルン・コンサートは、私も大好きな1枚です。でも悲しい感じは受けませんでした。
なにかキースが天啓を受けながら、奔放にピアノからメロディを叩き出す。
そんなイメージで、私にとってはα波が出まくる一枚なのですが・・・。
投稿: ジータ | 2007年2月26日 (月) 09時02分
私もジータさんと同じような感想ですね。でも親方の言うのも解るよ。その時代の自分にオーバーラップする曲というのは誰でも持ってるからね。それはそれで良いんじゃないかい?そういう時代があったから、今の自分があり、今の幸せがあるな~んてね。
投稿: pancho | 2007年2月27日 (火) 01時46分
深夜にモルトウィスキイをやりながら聞いていたら、ついつい、過去へのセンチメンタル・ジャーニーをしてしまったのです。思い入れたっぷりの、気障な文章だね。反省。
投稿: 双子山親方 | 2007年2月27日 (火) 07時51分
そう、僕も19歳のころ聴きました。その後、何度か聴いたが、ジータ氏のように、自由奔放さ、天真爛漫さが良かったです。音の空間、間合いが新鮮でしたね。ソロ・コンサート、サンベア・コンサートなど友人から借りたレコードをダビングして聴いたものでした。妙な興奮、覚えましたね。そして、20歳の声を聞こうとしていた時に、エバンスの訃報に接しました。
投稿: がじん | 2007年3月 5日 (月) 15時22分
がじんさん、東京はどう?
赤坂ブルー・ノート、行きたいなあ。
投稿: 双子山親方 | 2007年3月 5日 (月) 22時18分