映画評のようなもの⑩
なぜ米国人がこの映画を作らなければならなかったのか?
クリント・イーストウッド監督の硫黄島2部作の2作目「硫黄島からの手紙」を観てきた。緻密な映画であると思った。戦後60年以上経つのに、なぜ、日本人がこのテーマで映画を作ることができなかったのだろう? やる気がなかったのか?
硫黄島の戦いを日米双方から観る、というのがイーストウッドの狙いだったはずだ。米側から観た硫黄島、「父親たちの星条旗」は、戦いそのもよりも、戦いの後、国家意志によって翻弄されてしまう兵隊たちの描写に力点が置かれている。「国⇔個人」という対置がある。
「手紙」では、激しい戦いの果てに死んでいく個々人の兵たちが細やかに描かれている。ここでは「国⇔個人」という対置よりは「兵=兵」という並置関係があるように感じた。
島では、死に急ぐ軍人たちと、「少しでも生き延びて闘え」と督励する栗林中将の間に激しい軋轢がある。上官命令に抵抗する「抗命」は、軍法会議ものではないのか? 日本軍人は「武士」というイメージに酔ってしまっている。自決も、切り込みも、近代戦的には無意味だ。「美しく散る」ということだけを目的化してしまっている指揮官のもとの兵士は不幸すぎる。
独特のトーンのスクリーンで展開される激戦の語り部は大宮のパン屋出身である西郷。彼が力演している。嵐の二宮和也。覚めた眼で自らが死ぬことを覚悟しながら、下らない戦いを戦おうとしている。実際に彼のような兵隊がいたかどうかはわからないが。
そして最初の疑問だ。なぜ、米国人の手によって? 脚本がいいんだよなあ。日本人でも書けないぞ。恥ずかしいよなあ、何だか。
日本映画界にとって、戦後間もなくは、生々しすぎて手がつけられなかったテーマだったろう。高度成長期以降は「暗すぎる」「重過ぎる」として退けられたのだろうか? そしてバブル以降は、「それどころじゃない」ってわけか?
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