本を読む⑤
本当に、よくしゃべる奴らだ!
![]() |
Op.ローズダスト(上) 著者:福井 晴敏 |
期待して読んだけど。なんだかなあ。とにかく、文章がめちゃくちゃ下手だね、この作家。
「亡国のイージス」あたりは若かったからまだ勢いがあってよかったけど、「何か」を考え始めたつもりになって、思慮深げになったこの作家は、自分の文体を持っていないから、とにもかくにも、読みにくい文体で、荒っぽいストーリーを削っていく。読者は疲れるだけだよ。
作家と平行して、というか、作者の意識の反映なのだが、登場人物が、とにかく、よくしゃべる。しゃべる前に動けよ。爆発するぞ。
この作家、ハリウッド映画の大作イメージの発想しかないから、そのストーリーにくっつけるものとしてしか、「文体」「文章」を意識していない。生硬な国家論、すべてどこかで聞いたことがあるものでしかない。すべてが、古い言葉だ。
お台場をぶっ壊してもいい。でも、漫画だ。長いだけに腹が立つんだよ。読後にね。長い時間付き合わされて、こんなにも不毛な漫画を読まされたということ。
なぜ、いまどきの若い作家は「国家」を語ろうとするのだろう。何も考えていないくせに。誰かの意見を自分の意見のように勘違いしているだけのくせい。なぜ、ひとつの物語として「持論」を語ってしまうのだろう。不思議だ。その節度のなさが。
大声でがなるな。自分の意見を。そんなものは文学でもなんでもない。君が気の書くものを文学と言い張るなら、君はもう語るな。書け。それだけでいい。
新聞も、同じだけど。書けるものは、がなるな。聞き苦しい。書けよ。ひたすら、書き続けろよ。表現者の責任はそれだけだ。
☆45点⇒読み続けるのが苦痛でした。とにかく「悪文の好例」なんだもの。でかい声で馬鹿話、聞きたくない
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 三国一の読書野郎2017※番外編(2017.03.04)
- 三国一の読書野郎2017⑩(2017.01.22)
- 三国一の読書野郎2017⑨(2017.01.21)
- 三国一の読書野郎2017⑧(2017.01.15)
- 三国一の読書野郎2017⑦(2017.01.14)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
北海道で生まれ育った昭和30年代以前のおじさんたちは、焼肉っていえばやっぱりジンギスカンなんだよね。もともと北海道には牛の食文化ってなかったから。そんなおじさんが推薦するラムはJAで販売しているジンギスカン・金・銀。ちょっと高いけど結構うなるよ。でも上品すぎるかな。いま気になっているのは帯広竜宮で販売しているアイスランド産ラム肉。通販でも売っているのでどうぞ。ちなみに塩釜、ラム角煮は私一人で食べましたよ。
投稿: 「今日は人間ドックだ」の会会長 | 2006年5月23日 (火) 01時22分
「今日は人間ドックだ」の会会長 さま
たくろうはどうする?
投稿: 双子山親方 | 2006年5月23日 (火) 01時26分
遅レスですけど。
これ、週間文春に連載してたので、全部とは言わないけど読んでました。
連載当時、「安保世代ってこんな感じかも?」って思ってました。自家中毒ぽくて。
「若さ」に付随する色んな要素(短絡的視野狭窄とか、イノセントさ、力の無さ故の無残なありようとか)は、よく表現されていたと思うけれど、成熟しなくなったおとなのための青春小説っぽい。
「ローズダスト」を知らない(連載小説を読めないのです)ウチの相方が、「亡国のイージス」を買ってきたのですが、どうしても手に取る気になれず、痛しかゆし、です。(笑
双子山親方さんにとっては、新聞を書く記者とは、「表現者」なのですか。
わたしの父は、恐らく「オリジナリティ」に敗北して、記者になりました。彼の定義によれば、記者とは「表現する人の一番近くにいる者」なのだそうです。相手が政治家でも芸術家でも。
実生活上は、色々と問題のある人間ですが、父のそんなデリケートなセンスを、わたしはこよなく愛しております。(笑
投稿: 網 | 2006年7月25日 (火) 00時15分
私は記者は表現者だと思いますよ。私はあなたのお父さんから学びました。表現者というものの定義から論じなければなりませんが。そうじゃなくちゃ、記者なんて仕事、つまらないとも思います。
まあ、吉本隆明流に言えば、本当の表現者とは生活者なんでしょうけどね。
でも、あなたの父上も、最初からオリジナリティにおいて敗北していたわけじゃないと思うけどね。そうじゃないと、記者なんかにはならないもの。
でもこの作家、本当に文章が下手なんだよ。だから駄目なんだよ。安保とか、そういう以前なんだよ。ツールをこなしきれていない。言葉というツールをね。鋸を扱えない大工が信じられるかね?
投稿: 双子山親方 | 2006年7月25日 (火) 00時47分
ああ、そうです、思い出しました。
父は「表現者」ではなくて、「詩人」と言ったのです。
「詩人の一番近くにいる者」と。
父は、全く色々なことを無責任に言い散らかす人ですが(笑)、この一言は、とても美しくて謙虚で、好きです。久しぶりに思い出しました。
残念なのは、父がこれを言ったのが、わたしの生まれる数年前で、その後は鳴かず飛ばず。
「言ってることとやってることが違うじゃん」と反抗期の娘に突っ込まれて、大暴れする酒乱オヤジになってしまっていたことですね。(ほろ苦い青春の一コマ。ww)
>吉本隆明流に言えば、本当の表現者とは生活者
うーん、吉本隆明は、何故かきっかけを作れずに、今日まで一冊も読んでいないのですが、なるほど、良い言葉ですね。小林秀雄あたりも、言いそうな感じ。
自分の人生を誠実に生きることが表現であるなら、敢えて、「表現者」と名乗ることもないのかもしれません。
仕事とプライベートを分けることも、あんまり意味がない、というよりは、むしろ、ありのままの自分を見つめるためには害のあることかも。建前と本音みたいですもんね。
>本当に文章が下手なんだよ
この頃、「作家」の粗製濫造がひどくありませんか?
何だか不感症になってきちゃいました。
粗製濫造しても、消えるものは消えるから、いいのでしょうけど、何だかよってたかってもてはやし、大作っぽい映画作ったりってのは、下手な作品そのもの以上に、気持ち悪いというか、不可解というか。
どんな人が、喜んで読んでいるのでしょう。
投稿: 網 | 2006年7月25日 (火) 13時35分