酒の力を借りてみるのもいいさ③
もっと、もっと、たくろうの話をしようか
でも、やっぱりたくろう、限界じゃないか。今年もなんかツアーかなんかやるんだろう? 行きたいとも思わないけど、違うんじゃないかなあ。典型的に過去の遺産で食っているよな。
過去の遺産で食ってもいいのさ。実際、そんなミュージシャンは山ほどいるしね。でも、たくろうだろ、腐っても。一時代を突っ張って生きたわけだろ。それが、何一つ、新しいものを生み出していないじゃないか、30年近くも。私は、繰り返すけど「人生を語らず」以降のたくろうのアルバムはほとんど聞いていない。「ならば、何もいえないのでは?」と指摘されれば、「その通り」と答えるしかないのだけれどね。
でも井上陽水と比べると顕著なんだよな。たくろうの75年以降の創造性の欠如は。陽水の75年以降の充実振りと比べると、「なんだかなあ」なんだよな、たくろう。
テレビに出てもいいし、出なくてもいい。初期のたくろうは出ないことをマーケッティング的にうまく使った。そして現在のたくろうの「復活」は、テレビに出ることを、最大限に活用した。それだけのことだ。音楽性とは、まったく関係のない次元の話だ。
4日の夜に、NHKのBSで「ローリング・ストーンズ」という映画を流していた。1981年の全米ツアーのドキュメント映画だが、見るともなく見ていると、曲がほとんど「本当に頭が悪い連中だな」という歌詞ばっかりなんだよね。「お前と、やりてえ」とか、そんなのばかり。ストーンズって、絶対にビートルズのライバルでもなんでもなかったと思う。次元がまったく違うと思う。音楽性も、思想性も、空っぽだ。でも、こいいつら、筋金入りに凄いんだよ。
どこが凄いか? インターバルを開けずに、40年以上も音楽活動を続ける凄み。それは歴史的蓄積としてあるよね、でも、そんなことじゃない。ストーンズの凄みは、てめえらの音楽が本当に好きで、その音楽に、営々と落とし前を着け続けていることだ。
たくろうには、そんな凄みは一切、感じられない。ファンと、向き合っていないのだよ。
酒の力を借りてひねり出した「たくろう私論」です。反撃してね。
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1970年代、たくろうであれば何の曲でも聴きたかった、歌いたかった。詞の意味なんて分かりもしなかった。でもアルバム「明日に向かって走れ」を最後に聴かなくなってしまった。何故だろう?たくろうが変わったのかな?こちらが変わったのかな?
投稿: づかこ | 2006年5月 6日 (土) 07時56分
あ、そういえば、レコードを聴いていたんだ。CDの時代になってからは大して聴いていないなあ。「聴く」ということから遠ざかっている。何かをしながら聞くことはあっても、歌詞カードを読みながら「レコード」を聴くような行為はなくなってしまった。
投稿: づかこ | 2006年5月 6日 (土) 08時50分
時代に恭順に生きる事を否定して「ライブからの撤退宣言」をしたのでしょう。さすがだと思ったよ。それが一転「復活ライブ」全国縦断?メッセージ性を重んじていたミュージシャンが「それはないでしょう」って感じたね。確かに復活ライブは良かったよ、ハーモニカから入るリンゴなんて鳥肌が立っちゃったもんね。同時に拓郎も終わったなって感じたよ。一時代を作り上げた事は敬服するが、晩節を汚す事なかれと言いたいね。あの時本当に引退していれば伝説になったものを。
投稿: 貝の会会長 | 2006年5月 7日 (日) 22時38分
だから、変わったのは「贈り物」からなんだよ。「明日に向かってー」じゃなくてね。「捨てちまうよ、君のくれたものなんて」が過去との訣別宣言なんだよ。
ぼくは、そう聞いたけどね。
投稿: 双子山親方 | 2006年5月 9日 (火) 00時00分